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大相撲きょうの記事(12月12日)
昭和58年 11日全日本選手権大会で高3の久島啓太が史上初の高校生アマ横綱に。1m88cm、172kgの「怪童」、大声の気合で社会人、学生を精神面でも圧倒。相手に両差しを許す場面も多かったが上手に振り回し逆転した。「北の湖二世」の呼び声も高い。 写真は読売紙面から。
2024年12月12日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(12月12日)
大正15年 花形力士福柳、フグに命を取られる。福岡県戸畑市で興行中、11日午前11時市内某料亭で行司その他と共にフグを食した所、午後に腹痛麻痺、手当も死亡。なお、同席の在郷軍人分隊長も死亡した。 (解説) 美男子で人気のあった福柳だが、部屋での人望も厚く、彼の生還を願った力...
2024年12月12日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(12月10日)
昭和52年 9日、近大の長岡が記者会見で高砂部屋入門を発表。アマ、学生相撲で二年連続横綱。学生横綱の入門は豊山、輪島、出羽の花、尾形についで5人目。高砂親方「現在の突き押しの相撲を伸ばすように指導したい。もっと取口にスピードを付けさせたい」。 (解説)...
2024年12月10日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(12月9日)
大正14年 今回財団法人大日本角力協会を設立、角力専門学校の他外部事業を実行する事になり、7日東京府を介して文部省に申請、認可を受けた。角力専門学校は明年四月開校予定、両国国技館近くに建設予定である。 (解説) 角力専門学校設立を中心に報じられているが、言うまでも無く事の本...
2024年12月9日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(12月5日)
大正2年 板垣伯の紹介で一人のオーストリア人が友綱部屋に入門する。名をホーストといい、3日に根岸(※友綱系年寄)が面会。 19歳で5尺7寸6分、稽古では本職には勝てないが大学生には勝つという。腰が鳳に似て、外国人に似合わず強く有望という。数年前に日本に来て相撲を見て力士志願...
2024年12月5日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(12月4日)
昭和13年 横綱玉錦、4日午前2時25分、大阪日生病院で死去。急性腹膜炎の経過不良、気管支カタルを併発した。享年36。 (解説) 11月26日宮崎で腹痛を発症、阪急前での玉錦勧進元の相撲のため入院拒否していたが、周囲の強い勧めで28日入院、急性盲腸炎の経過不良であった。なお...
2024年12月4日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(12月3日)
大正6年 国技館全焼後だが、2日役員会議で断然春場所を一月に興行する事に決定。勧進元は協会とする。仮小屋の設置場所は幾つか候補があったが結局靖国神社境内に決定、直ちに宮司、陸軍省に許可を求めた。恐らく3日にも許否判明する。 (解説)...
2024年12月3日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月27日)
昭和36年 来場所の十両陥落が確実視される元大関松登が廃業を決意、千秋楽翌日の27日午前10時に師匠大山と記者会見。年寄株の算段が付かず、相撲界を去る事となった。 (解説) 株を手配出来なかった事から松登は廃業を声明したが、同日午後になって朝潮が持ち株の振分を貸し、協会に残...
2024年11月27日読了時間: 1分
大相撲きょうの記事(11月26日)
昭和48年 25日理事会にて木村玉治郎の伊之助昇進を決定。伊之助は1年間空位であった。新伊之助は本名熊谷宗吉、三役格行司では最も若いが日常業務、指導力を評価して抜擢した。48歳の立行司は史上最年少である。 (解説) 昭和47年1月に規定が改正され、従来はほぼ年功序列であった...
2024年11月26日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月25日)
昭和48年 既に優勝を決め休場中の輪島だが、千秋楽表彰式のみ参加する事に。24日休場決定し、表彰式をどうするか協会で議論、師匠が代役との意見もあったが、結局表彰式のみ出場させる事になった。本人は「出たくないが」言葉を濁す。 (解説)...
2024年11月25日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月22日)
昭和60年 元輪島の花籠親方が借金の支払いに花籠株を充てようとしたと週刊誌で報じられた問題で、春日野理事長は21日、協会で調査の上で文部省に報告すると語った。年寄株の第三者譲渡は規則で禁止されている。 (解説) 元輪島の花籠親方は、ちゃんこ店倒産に伴う多額の借金などから、こ...
2024年11月22日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月20日)
昭和46年 クタクタ中学生力士。出場中の中学生力士は20日限りで帰京する事になったため、同日残りの分まで取組を強行。前相撲は一時間開始が繰り上げられ、中には一日30番取った者も。鼻血を出す者、口を切る者もいたが、一番出世のため歯を食いしばった。 (解説)...
2024年11月20日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月19日)
昭和46年 力士が土俵うえで行司に「物言い」を付ける珍事件。十両大文字に藤ノ川の一番で、行司源之助は藤ノ川に団扇も、大文字がその場で抗議。審判が確認も全員行司と同意見。それでも収まらない大文字は審判に悪口を吐き、更に行司部屋にも乗り込んだ。 (解説)...
2024年11月19日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月18日)
昭和21年 大相撲秋場所十一日目、午後二時に皇太子殿下が藤島理事長の案内で正面桟敷に御臨場。熱心に観戦した。 (解説) 現上皇陛下。皇族が正面桟敷に御臨場する実例はあるが、皇太子殿下が正面桟敷は前代未聞である。この場所は旧両国国技館最後の場所だが、占領下の場所で玉座を使用す...
2024年11月18日読了時間: 1分
大相撲きょうの記事(11月15日)
明治18年 市民の安眠を破るという苦情で相撲の櫓太鼓は其筋より本場所回向院の外は建てられない事になったため、今度16日より木挽町三丁目で興行される花相撲では櫓太鼓を設けず、触れ太鼓も廻さないという。 (解説) 明治18年8月25日警視庁布達。なお、樺山資紀が警視総監時代に相...
2024年11月15日読了時間: 1分
大相撲きょうの記事(11月14日)
昭和14年 19日からの大阪大場所には双葉山を始めとする立浪組合力士は全員欠場する事になった。そのため、同国技館側では入場料を一割引する。原因は大阪国技館側と立浪の感情問題であるという。 (解説) 本場所では無いとはいえ、いわゆる準場所の欠場は異例で、力士会は立浪の態度を非...
2024年11月14日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月13日)
昭和35年 相撲協会の定年制実施により九州場所を最後に年長者が協会を去る。太鼓の名人呼出し太郎も対象であったが、出羽海、春日野両親方の斡旋により、今後は出羽海組合で働く事になった。 (解説) 呼出しの定年は、年寄行司よりも早く55歳とされたが、太郎は以降も角界に残り、記者ク...
2024年11月13日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月12日)
昭和38年 11日、九州場所中で寄宿中の佐渡ヶ嶽部屋力士6人がフグ中毒となり、その内三段目の佐渡ノ花が12日午前11時40分に死亡した。他3人が12日深夜時点で重体。6人は11日夜、ちゃんこ鍋にフグの内臓を入れて食したものであるという。 (解説)...
2024年11月12日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月10日)
昭和53年 水不足とがっぷり四つ。5月20日から福岡市では水不足で給水制限されているが、6日場所入りした力士も自ら不足に苦しんでいる。協会はバケツを支給、各部屋では井戸掘りを行うなど水確保に努めている。 写真は『相撲』より、給水に励む様子。
2024年11月10日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月9日)
昭和33年 協会検査役、行司の第一回連合打合せは8日土俵祭終了後福岡スポーツセンター内で行われ、各検査役、庄之助伊之助以下十両格以上行司が出席、物言いが付いた場合には従来検査役だけで協議していたが、今後は行司を加えて内容をよく納得させてから判定を下す事に。 (解説)...
2024年11月9日読了時間: 1分
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