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大相撲きょうの記事(11月8日)
明治10年 両国回向院の相撲興行はこの冬から興行出来ない事になっていたが、色々と出願した結果この冬に限って許される事になった。また、この冬場所からは初日から女性の見物を許可するという。 (解説) 10月15日に回向院境内の見世物小屋を撤去するよう行政からの命令があり、相撲興...
2024年11月8日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月7日)
大型台風顔見せ。6日福岡市秋本病院で行われた新弟子検査、注目を集めたのはカナダ出身のジョン・テンタ。アマレススーパーヘビー級優勝経験あり、身長198cm体重192kg。体重は小錦の175kgを抜いて新弟子史上最重量。肺活量計を振り切り、座高は身長計で代用して計測。 (解説)...
2024年11月7日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月6日)
昭和38年 逆鉾廃業か。夏場所新入幕、敢闘賞受賞し、現在21歳と前途洋々だが、九州場所を前に髷を切ってしまった。大阪の準本場所を途中休場、現在は部屋にも寄り付かない状況であるという。 (解説) 女性問題に端を発していたとされ、当時週刊誌も賑わせた話題。...
2024年11月6日読了時間: 1分
大相撲きょうの記事(11月5日)
昭和22年 3日、出羽海、春日野両部屋が全焼。午後9時半東両国一丁目ゴム工場から出火、折りからの風で延焼した。化粧廻し他物品の被害はなく、両部屋力士は当面武隈部屋に移転する事に。なお、不休不眠の両部屋力士は4日秋場所二日目出場、櫻錦は佐賀ノ花を破る殊勲。 (解説)...
2024年11月5日読了時間: 1分
大相撲きょうの記事(11月4日)
昭和43年 力士会は3日福岡スポーツセンターで開かれ、協会に対し、宣伝部を設けて人気上昇のPRに努めるべきと要望する事に決めた。 (解説) 相撲不人気時代の最中協会に宣伝部を設けるべきという議論はこの頃からあったが、その実現は平成6年1月の広報部新設を待つ事となる。なお、昭...
2024年11月4日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(11月2日)
明治24年 楯甲久四郎、大垣に圧死す。粂川伊勢ノ海一行は去る27日大垣に乗り込んだ所大地震に遭い、病床にあった楯甲が逃げ遅れて圧死。他の力士は無事で、現在は野宿で郡役所の焚き出し救助を受けている。 (解説) 濃尾地震による被害記事。伊勢ノ海一行では錦太夫や下位力士数名も負傷...
2024年11月2日読了時間: 1分
大相撲きょうの記事(10月31日)
明治27年 響升の焼芋屋問題。二軒隣に開業した同業者の不法を訴え、一時は町内差配人宅に乱入し拘引された響升は、今度はその同業者が営業届を出していなかった事に着目、営業差し止めを要求。差配人が仲裁を行っているが尚も談判中である。 (解説)...
2024年10月31日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月30日)
昭和58年 九州場所新番付発表でハワイ出身の小錦が新十両に。「とっても嬉しいです。こんなに早く関取になれるとは思っていなかった。(中略)これからも稽古に稽古を重ねて勝ち越しを狙います。給料も増えるけどみんな銀行よ。着物も増えるね」。 (解説)...
2024年10月30日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月29日)
昭和20年 大鉄傘、戦災のお化粧直し。去る3月10日の空襲で劫火にひとなめにされた国技館では、秋場所開催を間近に控えて経費約20万円を投じ、一ヶ月前から連日大修理作業が行われている。来月中旬までには内装も完成予定。 (解説)...
2024年10月29日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月28日)
明治30年 大碇紋太郎は先頃行司式守与太夫宛に、師匠伊勢ノ海への帰参詫書を送っていたが、伊勢ノ海も大碇に改心の状を哀れんだため、春場所には久し振りに出場する事となった。 (解説) 元大関大碇は明治29年春場所を最後に脱走、京都力士との興行や台湾渡航など行っていたが、明治30...
2024年10月28日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月26日)
昭和21年 「相撲籤」と「劇場籤」という二つの新しい籤が11月から売り出される。相撲籤は一枚10円、売り出し期間は6日からの秋場所大相撲期間中。 (解説) 戦後間もない当時は様々な宝くじが売り出され、相撲くじもその一つだった。注目取組の勝敗を予想し、打出し後に抽選を行ったた...
2024年10月26日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月25日)
昭和22年 秋場所から総当たり制度採用へ。24日午前10時両国金光教会で役員総会が開かれ、東西制存続か総当たり制採用か協議されたが、後者で満場一致、午後に力士会会長東富士以下四幹事に通知した。力士会では27日に協議予定。 (解説)...
2024年10月25日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月24日)
昭和24年 明春一月場所は浅草蔵前高工跡の協会所有広場、およそ六千坪に半永久的な施設をなし、晴雨関わらず開催する事になった。 (解説) 戦前から協会は蔵前に土地を所有していたが、戦後屑鉄処理目的に土地が使用されており、立ち退きにあたり400万を請求されていた。その工面のため...
2024年10月24日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月23日)
大正3年 22日午後、元横綱小錦が福岡病院で死去。以前より糖尿病に罹患していたが、巡業中の9月末頃より左上肢に腫物を生じ、13日に心嚢炎、蜂窩織炎、敗血症で入院、22日午後に容態急変したため臨終の時は弟子も縁者も不在だったという。 (解説)...
2024年10月23日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月22日)
昭和24年 横綱前田山の引退は決定的に。大阪本場所にて連敗後、ハイヤー氏病として途中休場していた前田山が、場所中帰京して野球見物した問題に、ファンや協会内部の非難の声が高まっている。協会は前田山を呼び出し事情聴取予定だが、自発的引退に落ち着く見込みである。 (解説)...
2024年10月22日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月21日)
大正12年 東京力士は名古屋に落ち着き、一月場所も名古屋で打つ事に。12月初旬に帰京予定だが、全部の部屋が焼き尽くされているため、20日半焼の国技館で善後策を相談、名古屋行きを決定した。但し名古屋国技館は収容人数少ないため、場所選定に悩んでいる。 (解説)...
2024年10月21日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月20日)
昭和51年 トンガ力士廃業問題が19日参院文教委員会で取り上げられ、参考人として伊勢ノ海監事が出席した。伊勢ノ海は、廃業者は再度迎えられない事を確認した上で、今後の外国人入門にあたっては文部省、外務省と相談して問題の起こらない方法を検討する、と述べた。 (解説)...
2024年10月20日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月19日)
昭和6年 関西本場所九日目、八日間全勝の小結武蔵山は沖ッ海の下手投げに敗れたが、その際武蔵山が右腕を下に倒れて激痛を訴え、阪大で診察した所右肱関節に亀裂を生じた事が判明。治療に一ヶ月を要するという。 (解説) スピード出世とその風貌で人気を集めていた武蔵山だが、この右肘の負...
2024年10月19日読了時間: 1分
大相撲きょうの記事(10月18日)
大正元年 「相撲評論」発刊。角通本阿弥光賀翁は、相撲講評や力士成績表を公表する相撲評論を発刊する計画を建て、来る11月6日第一号を刊行し、爾後毎月6日発行、本場所中は日刊を行うという。 (解説) 本阿弥光賀は刀剣鑑定家で本名は和田正秀、長岡藩の河井継之助の息子である。相撲批...
2024年10月18日読了時間: 1分


大相撲きょうの記事(10月17日)
明治32年 常陸山と荒岩は本場所土俵で合った事が無いが、大阪興行六日目に初顔、両者期待の力士とあって早朝より満員に。取組は同体流れ、見物の不平多く、年寄が交渉して十日目番外として再度取り組ませる事に。取直しの取組は、常陸激しく突くを荒岩蹴返し常陸四つん這い。...
2024年10月17日読了時間: 1分
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